あの一杯を取り戻す
いつもと同じ淹れ方、同じ水でお茶を淹れるけれど、どうしてもあの時の一杯の感動がよみがえってこない。こんなことはありませんか。今日は、あまり語られることのない、飲む人自身の話です。
お茶の味を決めるのは、まず茶葉、水、器。また、淹れ方です。
そしてこれらと同等に重要なのが、自身の体調と、身を置いている環境です。講座「茶の気の正体」は、同じお茶が飲む人の状態しだいで違って立ち現れることを扱いました。
私は、身体と環境のあいだ、自分の内側と外側の境には窓があって、そこは「気」の通り道のようなものだ、と考えています。
気の巡りが滞ったり、逆に過剰になったりすると、茶体験はぼやけたり、刺激的すぎたりします。良いお茶は、この窓を開ける鍵になります。以前「窓を開く「カギ」」に書いたとおりです。
ただ、窓があまりに硬いと、なかなか開きません。「あの時と同じお茶を、同じように飲んでいるのに、体感がまるで違う」のは、たいていこれです。
では、窓を開けやすくするにはどうすればよいのか。
まず、朝陽を浴びることです。
身体のあらゆる細胞・組織・器官には固有の体内時計があり、その親時計にあたるのが視交叉上核です。目から入った朝の光がここに届くと体内時計が調律され、末梢の時計もそれに揃っていきます。腸や肝臓といった巡りの基本となる臓器、エネルギーを作るミトコンドリア、神経系。概日リズムに乗って動いているものが、いっせいに本調子を取り戻す。
そのきっかけが朝の光なのです。
次に、身体に心地よいリズムを刻むことです。つまり、たくさん歩く。一定のペースで長く歩くと、呼吸も規則的になっていきます。呼吸が深くなると、身体がほどけてくる。
ゆっくりした深い呼吸は、それ自体が副交感神経の働きを高めます。身体を動かしながら、同時に鎮まっていく。長く歩いた身体は、そういう状態なのだと思います。
最後に、デジタルデトックスをすることです。
実は、お茶の体験は、思った以上に脳の影響を受けています。思考がぐるぐると回り続けて止まらない。SNSなどのメディアの影響で興奮気味になっている。何かをしなければいけない、こうあるべきだ、という思い込みが居座っている。こうしたものはすべて、お茶の味わいと体感に影響します。ノイズと考えることができます。
ノイズを取り除いたクリアな状態であれば、お茶の声がよく聞こえます。お茶の機微に気づけます。
あの時、旅先で飲んだ一杯には、もしかしてこれらの背景がありませんでしたか。
現地で、いつもより早く起きて市場を散策する。ミュージアムやお寺など、いろんなところに足を運ぶ。限られた時間のなかでやることはたくさんあって、仕事のメールやSNSのメッセージに返信する暇もない。スマホはもっぱら地図アプリを使うのみ。次々と目に飛び込んでくる新鮮な光景に、身体も頭も忙しい。
このような旅路であれば、きっと身体は健全なリズムで動いていて、感覚もクリアなはずです。
これと正反対に、夜遅くまで、煌々と光るネオン、オフィスの蛍光灯を浴びている。座っている時間が、一日でいちばん長い。移動中はスマホの画面に釘付け。こういう状況が、気づかぬうちにご自身の感度を下げ、窓を硬くしてしまった可能性があります。
さて、東南アジアの旅路から戻り、また静岡でお茶作りをしていると、茶葉の声がよく聞こえます。
いまどのくらいの水分があって、どのような揉み方をしたら良いのか。もう少し、待つべきなのか。
雨季のモンスーンアジアを抜けて、お茶がよく香ります。